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はじめに

TeeC Onlineが出来るまで

序章

​全てのはじまりは、毒島自身が現役の大学受験生だった頃。

毒島には一つの強烈なフラストレーションがあった…。

それは「なぜ、世の中の英語はこんなに分かりにくいのか!?」ということだった。

学校の授業を聞いても、どの参考書を見ても、どこで教えてもらっても、英語という科目は規則性の無い、どこか無味乾燥なもののように思えた。英語にあこがれていただけにいっそう苦痛だった。

そんななか某予備校 英語講師の授業を受けたことで、毒島の中にパラダイムシフトが起こる。

今まで無味乾燥に思えていた英語は、実は思っていた以上に一貫性があり、ちゃんと血の通ったものであった

そのときに毒島はこう思ったのだった。「こんなに世の中が分かりにくい英語だらけなら、自分が受けたこの衝撃的な経験は、世の中に活かせるのではないか?…これを仕事にしたら面白そうだな。」予備校講師としての気持ちが芽生えた瞬間だった。

​下積

​大学卒業後、毒島は予備校講師としてのキャリアを始める。それは挫折の連続だった…。

日々の業務に忙殺されながら、慣れない授業に悪戦苦闘し、生徒から厳しい声をもらう事も度々あった。自分の考えを上手く表現できない(=伝えられない)もどかしさに、日々苦悩していた。そして何より専門知識の未熟さに悩み、「こんな調子ではプロ失格だな…」と常に自分を責めていた。

しかし一方で経験を重ね、少しずつ自分の考えが上手く表現できるようになった。授業では、生徒から絶大な支持を得られるようになっていた。

「やはり“パラダイムシフト”を皆が求めている!」そう確信した瞬間だった。暗闇の中の、その一筋の光明が、毒島の進むべきをはっきりと示していた。

その決意から新卒4年後で退職し、毒島は大学院に進学した。一度全て捨てて、出直すことを決めた。それからは大学院卒業まで、学問として英語を研究し専門的な論文を読み漁り、同時に予備校講師として働く日々を送った。

この時期に毒島は、進学アドバイザーの北島と出会う。大学院との併行ながらも予備校講師の仕事は本格的だった。ハイレベル層の集まる集団授業を行う塾で、英語科主任を務め、そこではカリキュラム、テキスト作成、授業…英語に関することはすべて毒島に任せられた。そこで毒島は生徒から絶大な支持を得て、最終的な自信を得る。

この頃には専門知識を見違えるほどに身に着け、生徒の英語のニーズも熟知していた。それから毒島は舞台を医学部専門の大手予備校に移し、そこで再び北島と出会う。たまたま同じ時期に、同じ職場に所属したのだった。

医学部の英語講師として教壇に立ち、常に満足度アンケートで高評価を勝ち取ってきたのである(現在進行中)。

始動
そして英語を本気で学びたい・成績をアップしたい生徒のために、新しい塾をスタートした。
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